「良き時代への懐古」が意味するもの――『昭和ノスタルジア ...
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そしてそれから10年も経つと、昭和を懐かしむ映画やテレビ番組が増えはじめ、2005年の『ALWAYS 三丁目の夕日』でブームに火がついた。
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歴史・社会
「良き時代への懐古」が意味するもの――『昭和ノスタルジアとは何か』
32年前の今日・1月7日、昭和が終わった。
そしてそれから10年も経つと、昭和を懐かしむ映画やテレビ番組が増えはじめ、2005年の『ALWAYS三丁目の夕日』でブームに火がついた。
「古き良き時代への懐古」として一括するのは簡単だが、そこで捨象されるものは何か。
メディア表象や言説の詳細な検証を通して通説に挑む、日高勝之(立命館大学教授)著『昭和ノスタルジアとは何か』(2015年度日本コミュニケーション学会・学会賞〔著作の部〕受賞)の序章から一部抜粋して紹介する。
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「昭和ノスタルジア」の論じられ方
「昭和ノスタルジア」は、しばしばメディアや報道で取り上げられるが、その論じられ方は、少なからず問題を含んでいると思われる。
新聞や雑誌の記事は、これらの現象を多くの場合、「ノスタルジア」や「レトロ」という言葉と共にワンセットで語る紋切型の説明を繰り返すのがほとんどだからである。
昭和は「レトロ」と等号で結ばれ、「昭和レトロの雰囲気」、「昭和レトロな街並みを再現」、「昭和レトロのブーム」という表現がしばしば踊る。
そしてそれが「甘美」で「無害」なものであることが自明視されるのだ。
「昭和ノスタルジア」のブームの火付け役とされる映画『ALWAYS三丁目の夕日』についても、次の新聞記事のように、当時を肯定的に懐かしく思い出される「装置」であることがあらかじめ織り込み済みなこととして語られる。
近年、『三丁目の夕日』ブームに代表されるように昭和30年代が懐かしく語られる(『日本経済新聞』、2008年6月22日、朝刊)
『ALWAYS三丁目の夕日』などの作品が当時を懐かしく思い出させるポジティブなものとしてメディアで語られるのは、当時が未曾有の高度経済成長を達成した「良い時代」であったことが前提とされているからであるように思われる。
映画『ALWAYS三丁目の夕日』が公開された2005年の記事には、昭和30年代、40年代を第二次世界大戦の時代と対極的なものとして対比させているものもあった。
第二次世界大戦が「繰り返したくない昭和」であり、「受け継ぐべきではない」負の時代であるとし、一方で昭和30年代が「懐かしい昭和」であり、「受け継ぐべきこと」=正の時代であるとされている。
その際、昭和30年代を描いた映画『ALWAYS三丁目の夕日』は、受け継ぐべき当時の良さを体現する象徴として持ち出されるのである。
しかしながらこのような単純な理解のあり方は、「昭和を懐かしむのは、単なるノスタルジー」(『朝日新聞』2010年1月3日)というロジックに容易に反転してしまう。
そのため、一方では、これを「後ろ向きな」"ノスタルジー"であるとして、批判する議論も少なからずある。
例えば、「現実の昭和30年代は、甘いノスタルジーだけでは語れない」(『朝日新聞』2006年10月15日)などの言葉がそれにあてはまろう。
これらの言説は、昭和を取り上げる大衆メディア・文化作品の中味を「ノスタルジー」であるとし、それらの「ノスタルジー」は、当時への甘い感傷的な懐古趣味だとして批判の対象になるのである。
どちらの場合も問題は、この社会現象をノスタルジアであることを自明とし、そこでのノスタルジアとは、甘美で取るに足らない陳腐だが、同時に無害な懐古趣味であるとする点である。
そのうえで、ノスタルジアは、「良い時代」を懐かしむ無害なものだからこそ歓迎しても良いという考えと、一方で、そんな感傷にひたるのは、後ろ向きであるとする批判に分かれるだけなのである。
『昭和ノスタルジアとは何か』(世界思想社)
モダニティの「脅威」――17世紀にルーツを持つ「ノスタルジア」
しかしながら、ノスタルジアとは、本来はもっと複雑な歴史的背景と含意を備えた言葉である点を見逃してはならない。
これについては、米ハーバード大学の比較文学者スヴェトラーナ・ボイムがその著書TheFutureofNostalgia(2001)で述べている議論が役に立つだろう。
ノスタルジアの起源は、詩や政治ではない。
ノスタルジアは、今から300年以上前の1688年前後に、スイスの医師ヨハネス・ホーファーがその論文の中で、故郷から離れた人々が自分の故郷に戻りたいという欲望から生じた内面的な苦痛に対し、命名したとされる「症状」なのである。
ノスタルジアという言葉は、元々はギリシア語のnostos(家へ帰る)とalgia(苦しい状態)を組み合わせて作られた。
ノスタルジアの「症状」は、兵士や船乗り、田舎から都会への移住者などに広範に見られたという。
ボイムによれば、「ノスタルジアは、もはや存在しない家か、存在したことのない家へのあこがれである。
ノスタルジアは、喪失と転位(displacement)の感情であるが、しかしまた自身のファンタジーへのロマンスである」。
一方、モダニティの時代は、革命や産業革命における「進歩」が最重要な概念として、19世紀以降、国家から個人に至るまですべてに浸透した。
しかしながら、ノスタルジアは、モダニティの進歩にとっては都合が良いものではなかった。
なぜならば、「進歩にとって大切なのは、未来の改革であり、過去への内省ではなかった」からである。
そのためノスタルジアは、モダニティの進歩に抵抗する感情とみなされ、「個人の不安だけではなく、モダニティの矛盾を明らかにした公共的な脅威であり、政治的な重要性があった」。
したがって、ノスタルジアは、単なる「甘美」で「無害」な過去への憧れではなく、モダニティの矛盾を暴く公共的な「脅威」とされた歴史があったことを見逃してはならない。
人々はノスタルジアの「症状」を、進歩を妨げる無視できない脅威であると考え、ノスタルジアをモダニティ発展の障害物と考えざるを得なかったのである。
医師は、ノスタルジアは進歩と医療の改善で「治癒」できるであろうと考えた。
しかしながら結核は治せたが、ノスタルジアは治せなかった。
そのため、18世紀以来、ノスタルジアを探究するというあてのない仕事は医師から詩人と哲学者の手に渡ったのである。
19世紀のアメリカでは、容易に「治癒されない」ノスタルジアを、「人間性の欠如した非進歩的な態度とした。
それは心の痛みであり、意思の弱さとされた」のに加え、ノスタルジアから引き起こされるホームシックは、「怠惰と夢想、オナニズムとされた」。
その結果、20世紀初頭になると、ノスタルジアは否認されたのである。
このような、概念としてのノスタルジアの背後にある複雑な歴史的経緯を、「昭和ノスタルジア」を論ずる新聞などのジャーナリズムの言説は、残念ながら踏まえていない。
ノスタルジアを「良い時代」である過去を懐かしく思い出すだけのものとして肯定的に報道するメディア言説は、ノスタルジアの「脅威」の可能性に目を閉ざし、無害なものとして受容しているだけに思われる。
一方で、昭和30年代を中心としたノスタルジアを甘美な懐古趣味として批判するメディアは、19世紀以降のアメリカなどでのノスタルジア批判を知らず知らずに踏襲していると言えるかもしれない。
*
本書を書かしめた目的の一つは、「昭和ノスタルジア」の大衆メディア・文化作品およびそれに関する言説、オーディエンスの反応などの詳細な分析と考察を通して、社会現象化している「昭和ノスタルジア」の社会文化的意味とポリティクスを具体的に解き明かすことである。
ポスト・マルクス主義の政治理論家エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの言説理論をメディア研究に応用した独自の研究アプローチを採用することで、大衆メディア・文化作品のナラティブや関連する言説空間のヘゲモニー実践を構成している多様な「節合実践」、および「敵対性」を析出することで、「昭和ノスタルジア」について、定見とは、いささか異なる知見を提示する。
それは、結果的には「昭和ノスタルジア」をめぐる、いわば脱神話化を行うことにもつながるだろう。
(『昭和ノスタルジアとは何か――記憶とラディカル・デモクラシーのメディア学』より抜粋)
この本を書いた人
日高勝之(ひだか・かつゆき)
1965年大阪生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業後,NHK報道局ディレクターを経て,英ロンドン大学(SOAS)大学院メディア学研究科博士課程修了。
ロンドン大学Ph.D.[博士]。
英オックスフォード大学客員研究員,立命館大学産業社会学部准教授などを経て,現在,立命館大学産業社会学部教授。
専門は、メディア・ジャーナリズム研究、文化社会学。
主著にJapaneseMediaattheBeginningofthe21stCentury:ConsumingthePast(単著,Routledge,2017年),PersistentlyPostwar:MediaandthePoliticsofMemoryinJapan(共著,BerghahnBooks,2019年),『はじめてのメディア研究〔第2版〕――「基礎知識」から「テーマの見つけ方」まで』(共著,世界思想社,2021年)ほか。
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昭和ノスタルジアとは何か記憶とラディカル・デモクラシーのメディア学
著者:日高勝之
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